乙武氏の強さに習いたい

ちょっと古い記事ですが、乙武氏のブログの「2ちゃんねる」という項目より。

http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2003/06/post.html


読んで感動しました。乙武氏は強い。でも、この強さは自分の弱さを知っている強さです。本当は目を背けたいという弱さ、そして、そんな部分にあえて目を向ける強さ。実際の自分の気持ちは兎も角、「常に前向きで行こう」という意思を持ち続ける事に、マイナスな事さえプラスに変えていこうという気持ちの持ち方に強く引かれるのです。

私も、乙武氏よりかはずっと弱い精神力だとは思うのですが、それでも、私の運営するすべてのサイト内で匿名投稿、批評批判、罵倒気味の発言、すべて許可の方針で運営していて、コメント欄の削除もしない(私に対する誹謗・中傷であっても。注意書きの欄にも誹謗中傷禁止の一文はあえて書いていません。ただし、宣伝書き込みだけは削除対象)のは、そういった発言の裏にある真実に向き合いたいという気持ちと、自己への戒め、あと、それらの書き込みに負けないようにしたいという意思の現れなのです。

彼らの文言は、あまりに心なく、的外れなものが多い。けれども、時に足元を見つめさせてくれるものもある。「あんな文才のないやつが」と書かれれば文章を磨くことに貪欲になれるし、「障害があること以外に何のウリもない」と指摘されればウリを作ろうと必死になれる。

「乙武洋匡公式サイト」 より。)

まさに、その通りなのですね。ただ、乙武氏の場合は実際には文才があると思うし、それは障害以外の才能である事は間違いない。

でも、私の場合は本当に何もない。冗談めかして器用貧乏を目指しているとか言っているけど、器用貧乏にだってなりきれていない。現状では「不器用貧乏」。どの方面を見つめたってB級の実力すらない。

例えは、絵に関してだって、「ヘタレ絵描きを晒すスレ」で晒された事もあるし、それは晒した方が正しいと思う。間違いなく私の絵は実力も才能もない「ヘタレの絵」だ。

少しでも上達したいとは思うけど、その進歩も本当にしているのかどうか分からない。未熟なのだ。いや、「未熟だ」と思っている事自体が、ひょっとしたら物凄い自惚れかもしれない。未熟だと思っていたのが実は成熟した結果で、ピークは学生時代にとっくに訪れているのかもしれない。あとは衰えていくだけというのが本当の姿だと言う可能性だってある。

でも、そんな事を知り合いで指摘してくれる人はいない。「下手糞」「ヘタレ」「才能無し」なんて、赤の他人だからこそ書ける批判だろう。だからこそ、そこに一抹の事実がある。だから、もがく。見つめる。無視はしない。削除もしない。負けたくない。

見たくない真実の矢は思わぬ方面から飛んでくるのだ。だから私はその矢を事前に防ぐ事はしたくない。もちろん、矢だから自分は傷つく。その傷を未然に防ぐ事も出来るだろうけど、それをしてしまうと傷の痛みに気付けない。

誹謗中傷した人の発言を覆せるような作品を生み出す事で反論したい。発言そのものを塞ぎたいんじゃない。その発言の裏にある人の意思を変えたいのです。

ただ、その為の実力が圧倒的に不足しているのが、私と乙武氏の大きな違いなわけで……。「ヘタレ絵描き」を抜け出せる日はまだまだ遠い。