「頑張れっ!」の一言は嬉しい?それとも迷惑?

ただ、と、僕は思うのだった。逆に今度は、何でもかんでも「がんばれって言葉はよくないよね」というような意見も、同じくらい「呪」を招くのではないか、と思う。あまりにも強い嫌悪感として「がんばれ」が槍玉に挙げられた結果、今度は逆に「がんばれ」はあまりにも強く嫌悪されすぎてしまっているように思う。現在、僕等はなんと人に対して「がんばれ」といいづらいことだろう。

ココヴォコ図書館「言葉と呪文」 より)

元文章はここ(↓)凄くいい文章だと思うので一読をお勧めします。

http://anotherorphan.com/2006/02/post_180.html

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「頑張れ!」というのは、一般的には応援の用途等に使われます。運動、勉強、仕事、あらゆる場面でそれは使われてきました。だけど、あまりにも安易に使われすぎちゃったのかな……実際に頑張っている人には逆に「頑張れ!」という一言が心苦しくなってしまう事も珍しく無くなってきました。そして、そのような人が増えた現在、安易に「頑張れ!」と言い難い雰囲気が確かに存在しているのです

私は「頑張れっ!」って言葉、好きです。たった4文字にかけられた魔法の言葉。「あなたが自分でやらなくちゃいけない事だから、私にはどうする事も出来ません。だから、せめて応援の気持ちをあなたに送ります」という意味合いが、その4文字にはこめられている気がするのです。勿論、私は、他者の応援がプレッシャーに感じない性格だという事も大きいのですが……。

「頑張れ!」って言葉が心苦しいのは、それが上手く言っていない時が多いと思います。「頑張れっ!」って言われても「頑張っているんだよっ!だけど、上手くいかないんだよっ!」……と弱音を吐いてしまいそうな時に、好意も迷惑に変わってしまう、プレッシャーに変わってしまうのでは無いでしょうか。……難しいですね(^^;)

「頑張れ」の後ろに隠れた、本当の気持ち。伝えたい心。たった4文字なのにこうも人の心を揺さぶる所に、言葉の持つ力の大きさを感じてしまうわけです。