匿名への信頼
http://www.asvattha.net/soul/index.php?itemid=448
なんで名前と連絡先を明かしてないと信頼できないの?との質問には、別に誰もがそういうことをする必要はないと思うけれど、ジャーナリストを名乗る以上はそういう情報を開示して欲しい、との答え。じゃあでも、その名前が本名だって信じられる根拠は?と聞くと、いや、確かに人はウソをつくんだけど、けれど名前を明かすという振る舞いをしている以上、リスクをとっているわけだから、それは信頼するべきだろう、との話。
そこで、ああ、と膝を打った。つまり僕らが「匿名性」の問題だと思っていたものは、実は、見知らぬ他者に対する「信頼」の問題だったのだ。
(「匿名への信頼」 より。強調部分は霜月による。)
非常に面白い文章。
まあ、私の場合メルフォ等に「匿名投稿可」と書いてある通り、匿名か匿名じゃないかという事には全然拘らない方です。誰が書いたかではなく、何を書いたかを重視するので。文章の中身で判断するので、記名であっても馬鹿な内容の文章は無視するし、匿名であっても有益な意見は耳にします。
そもそも、ネットって全員が匿名みたいなものじゃないですか。私のサイトのページはどのページの最下部にも私の記名とメールアドレスが書いてある*1のですが、これは無論、文責を担う目的からです。でも、じゃあだからといって私は匿名じゃ無いのかって言われれば、やっぱり匿名なわけです。霜月というハンドルネーム以上の事は閲覧者には分からない。連絡手段はメールしかない。そのメールアドレスも実は捨てメアドの可能性だってある。これは立派に匿名なわけです。それは、まさに
例えば「名前や身分を明らかにしているのだから、お前らとは立場が違うのだ」的な話は、まったく正当性を欠いていることが見えてくる。スチャダラパーじゃないが、相手がどういう人間であるかを明かすと明かさないとに関わらず、僕たちはローカル・コンテクストへの侵入者に対して、こんな言葉を投げかけられる――「あんた誰?」と。
(「匿名への信頼」 より。)
……というのに近い部分がある。署名がしてあったとしても、所詮は「あんた誰?」の世界なのです。
ただ、完全な匿名と偽名(…という言葉が悪かったら、ハンドルネームと置き換えても可)を使う匿名では同一性における信頼という部分に差があるかもしれない。私の文章は匿名の文章でもあるのですが、「どこの誰だか分からない霜月という人物が書いた」文章であると分かる事は、架空の存在に同一性を持たせることに役立つ。それは文章に対する信頼に繋がる。他の場所で書いた文章と同じ人物が書いていると分かる事で、その人の文章の傾向や価値観というのが文章を理解するのに役立つ。
だからと言って、完全な匿名氏が書いた文章が信頼出来ないかというと、そんな事はなくて、完全な匿名氏では前提となる判断材料が全く無いので、書いてある文章そのものから判断するしかしょうがないという事なのです。もちろん、その内容が有益なものであれば、次から同じ匿名氏が書いた文章を読むときの参考にもなる。