デッサンとは何ぞや

さて、復活(?)記念に早速大して内容の無い長文を書いてみようと思います。しかも、テーマは「デッサン」についての長文です。おおっ!何だか、イラストサイトっぽい話題ではありませんか!

さて、漫画絵においてもデッサンが大切であるという事実は周知の通りであります。切っても切れない関係なわけで、例えるならば「大改造!劇的ビフォーアフター」の匠が「吹き抜ける風の詩人」等の二つ名を持つ事と同じくらい重要なわけです。……いかん、しょっぱなからわけが分からない。




さて、そもそもデッサンとは何か?Wikiペディアの説明文から引用してみましょう。

描画する要素として、対象に見える明暗と陰影・色彩の差異を手がかりに、対象物の形状・質感・色味・透明感などを、そのまま紙上に再構成する。 例として、母さんひとりを描くにしても、角の微妙に削れた部分・表面の細かい凹凸・細かい色彩の変化・陰影などを緻密に観察し紙上に写す。


例えに、何故「母さん」を使ったのかがイマイチ不明なのですが、要はこういう事なわけです。しかし、「母さんの角が微妙に削れた部分」とか「母さんの表面の細かい凹凸」とか「母さんの細かい色彩の変化」とか、何だか非常に奥が深い文章であります

デッサンが上手いという事は、リアル感があるという事です。「デッサンが狂っている」という事は、その絵は何処か現実と比べてイビツな部分があるという事になります。



しかし……しかしですよ。そもそも、漫画絵は漫画絵にする段階でデッサンを狂わしているわけです。代表的な部位では目の大きさから始まり、現実の人間よりも頭が大きかったり小さかったり、パヨンパヨンであったり、つるつるぺったんであったり、筋肉むきむきであったり、3頭身であったり、8頭身であったり……兎に角、漫画絵というのは現実の人間からは大よそ掛け離れた描写をします。

そんな漫画絵にも関わらず、やはりデッサンは大事だと言われます……それは何故か?私が思うに、同じデッサンを崩すのでも人に心地よいデッサンの崩し方と、不快感を与えるデッサンの崩し方が存在するのではないか?……という事なのです。そして、心地よいデッサンの崩し方はいつしかパターン化し、それが新しい標準となる。仮に、これを「漫画デッサン」と名付けると、漫画というのは普通のデッサンではなく、この「漫画デッサン」に即した絵が描けるかというのが大切になってくるのでは無いでしょうか?



漫画デッサンは大きくわけて2種類にわかれます(私判断)。それは、等身を上げるか、下げるかによって分かれてきます。

等身を下げた絵……3頭身、4頭身の絵の場合、所謂可愛さや、萌えを追求したデッサンの崩し方が要求されるのです。例えばすかさんだとか、saxyunさんだとか、ゆうのさんだとかの絵*1を見ていただければわかる事と思いますが、その小さくて可愛い様は、まるで、最盛期の安達裕美かエマ・ワトスン*2の様です。最盛期がいつなのかは私には分かりませんが。

こういった絵を見て「頭が大きすぎる!」だとか、「足がありえない付き方している!」だとか、そんな文句をいう人はいないでしょう。それは、このデッサンの崩し方がすでに新しいデッサンと成り得ているからです。これを「萌えデッサン」と銘銘する事にしましょう。略称は「萌ッサン(もっさん)」です。

逆に、等身を上げた絵……ネットでは、私の巡回先だとあんまり無いなぁ(汗)「天上天下」の大暮雅人さんみたいな感じなわけですが……恐らく現世界ナンバーワンのプロポーションを持つ人でも適わないであろう、超絶スタイルであり、そこに求めるものは格好よさを追求したデッサンの崩し方なのではないでしょうか?こっち方面のデッサンの崩し方においても、「足が長すぎるっ!」だとか「腰が細すぎる」というような文句は聞きません。

つまり、漫画絵においてはデッサンを崩すこと自体は悪い事では無いのです。だって、どんな絵だって、デッサン狂ってるんだし。そのデッサンの崩し方が第三者にとって心地良い崩し方になっているかどうか、そこが大きな分かれ目になるのです。



……と、気分良く無駄な長文を書いた所で結論として私が言いたいのは、私の絵のデッサンがへっぽこなのは、この心地よいデッサンの崩し方を模索しているからであり、決して私が下手糞なわけでは無いのだという事であり、しかし、残念ながら私の崩し方は心地よい崩れ方には成らない事が多いわけで、結局第三者から見ると、ヘタレ絵描きなわけで、というか、自分で見ても酷いデッサンの崩れ方だなぁと思うわけで………………………………すみません。努力いたします(涙)

*1:私が好きな方のサイトを羅列してみました。

*2:映画版「ハリー・ポッター」のハーマイオニー